静岡からのグループ応援看護師
こんにちは。私は新庄徳洲会病院に勤務していた看護師のUです。
9月30日で6ヶ月の勤務を終えました。
私は同じ徳洲会グループから応援で新庄に来ていました。
3月の半ばに当時の看護部長より『あなたには4月から行ってほしいところがあるの。山形県の新庄にある病院に応援で3ヶ月お願いしたい。時間が無いので明日までに返事がほしい』と電話があり、新庄に来ることになりました。
断る事も出来たのですが、知らない土地の知らない病院で勤務をするというワクワク感には勝てず快諾させていただきました。私の病院からは2名の応援者を出させていただいているのも大きかったです。
3月31日の昼前に現地に到着するように、地元を出発し本州を北上。地元は桜が散り始めた時期でありましたが、東北に入ると桜が咲き始めた時期であり桜前線を感じながら東北を北上してきた事を覚えております。
病院の近くのコンビニで同僚と合流して私の新庄生活がスタートしました。事前に色々と調べて生活する上で困ることはなさそうとは思っていましたが、初日に見た看板に衝撃を受けた事を今でも覚えています。
新庄病院の配属された病棟では、慣れない生活をしている看護師に対してとても丁寧に指導をしていただき、とても安心して仕事が出来たことを今でも思っています。私の所属している病院とはやり方が違う事もあり不安はありましたが、杞憂に終わりました。また、他職種の方々も気にかけてくれていると感じました。
業務の合間の日々の会話の中で『あそこのお店、美味しいから行ってみて』などお勧めの場所を色々と教えていただき、美味しいものをたくさん堪能する事が出来たのも、新庄病院のスタッフの温かさがあったからだと思っています。
4月に雪が降って積もったことには驚きましたが。
3ヶ月の予定で来ていた新庄になぜ6ヶ月居ることになったのかというと・・・
4月が終わる頃に『後、2ヶ月で帰るのか』と思い、業務に慣れてきたタイミングで新庄を離れるのは嫌だと思うようになり、5月に入り病棟でたまたまお会いした看護部長に『可能であれば3ヶ月では帰らずもう少し新庄病院に残りたい』と話をさせていただきました。
5月の半ばに所属元の部長より『9月末までお願いする』と電話があり、3ヶ月の予定が6ヶ月に延長になったのでした。
新庄は立地的に東北の真ん中に位置をしており、休みの日には同僚や一人で様々な所に行くことができとても充実した日々を過ごすことが出来ました。
東日本大震災の震災遺構を見に行き、当時、テレビで見ていた場所を生で見ることができたり、ユネスコ無形文化遺産に登録されている新庄まつりを見たりと様々な体験をする事が出来ました。
都心の病院から地方の病院に来ることで、何も学べないと思う方もいるかもしれません。急性期の病院からケアミックスの病院に来ると技術的なものを新たに学ぶことが出来ないかもしれませんが・・・
応援先のスタッフ、派遣や研修で来ている看護師、同じ徳洲会グループから応援に来ている看護師など、実際に来ないと出会うことが出来なかった人達と関わることで成長できる事は多くあると思います。私自身、看護師としての引き出しや一人の人間としての幅を広げることが出来き、今後、看護師としての目標も見つけることが出来たとても貴重な6ヶ月になりました。
最後に6ヶ月、迷惑をかけた事も多々あったと思いますが、温かいめで見て接してくださった皆様、ありがとうございました。